孫臏兵法―もうひとつの『孫子』 ★★★★☆

書評
孫子と呼ばれる人物は二人いる。呉の闔閭に仕えた孫武と斉の威王に仕えた孫臏だ。このことは史記を初め、各種書経目録に記されており広く知られていたが、孫臏の兵法は歴史の中で紛失してしまい、長い間、この人物の存在が疑われていた。それが1972年の考古学的発見により、孫臏の記した兵法が出土した。この新資料の発見により、長い間、謎とされてきた孫臏兵法が広く研究されるようになった。金谷治氏の『孫臏兵法』は、その新資料を書籍化した唯一の本だ。

この本は孫武兵法の奇正の変化をより具体的に説明したり、攻めるべき牝城と攻めてはならない雄城、布陣、兵器の使い方など、孫武兵法を深めたり、時代の要請にあった兵法を提唱したりしている。だが、欠損部分も多く、例えば「陣を攻めるには、□しなければならない。」などのように肝心のところが欠損して白四角で埋め合わされている。これまで孫子を初めとする兵法に関する書籍を読んできた人にとっては、かなり読みづらい本だろう。漢文はもちろん、現代語訳だけを読んでも、やはり話がうまく結論付けられなかったり、欠損していたりで理解するにはなかなか困難を要する。

漢文を読む時のコツは現代語訳を読んだあとに漢文の素読みをするとよいのだが、この本に関しては欠損部分が引っかかって、この方法もあまり効果を上げない。この本に挑戦する人は、おそらく武経七書を深く読み込んできた人が多いだろうから、あえて現代語訳だけに目を通すという読み方でも十分だと思う。

孫武兵法に比べて、抽象的な考え方を提唱しているというよりは、実際の戦に関して実用的な兵法を提唱している部分が多いので、われわれの生活に直接活(い)かせる部分というのは、これまでの本に比べて少ない。あえて言うなら、戦う時は相手の状況と対になる戦術を用いて戦うということだ。寡には多を、虚には充を、弱には強を、柔には剛を、正には奇のように、対義語となる戦略を考え出して、それをぶつけるという思考方法は現代人にも役立つだろう。

また敵情分析についても孫武兵法より、詳細に記述している。孫武兵法は城を攻めること下策としていたが、孫臏兵法は城攻めも手段として肯定した上で攻めるべき牝城と攻めてはならない雄城を掲げている。どのような城が落としやすく、またどのような城攻めが困難を要するのかというのも積極的に分析し、兵法としてまとめている。その点は孫武兵法とは違う。孫武は、戦わずして勝つことを上策とし、多大な犠牲を生み、凄惨な戦いとなる城攻めを下策として回避した。孫臏の時代には城攻めを回避ばかりはしていられなかったのか、あるいは孫臏という人物が孫武よりも血の気の多い将軍だったのか。孫臏は多大な犠牲を生むことを承知で、城攻めも積極的に戦いの場として選んでいる。立てこもる敵を見逃すことばかりしていられない現代の戦争観に合致している。制圧しやすい作りの建物、制圧しにくい建物という分析も、現代の専門家は行っているだろう。孫臏兵法は、そういう点でも分析手法の一つを提唱してくれる。

兵法や軍略というのは、戦いの中で生まれてきた。これは軍事思想を作り出したばかりでなく、敵を制圧するために必要な考え方の多くを教えてくれる。日本に住むわれわれの多くは戦場で敵を殺すという場面にめぐり合うことはなかなかない。だが、その分析手法を初めとする考え方は、資本主義、海洋国家という政治体制、軍事体制を持つこの国の国民にも役立つことは多い。広義に捉えればマーケティングやライバル会社との競争というところでさえ、古代中国の兵法はヒントを与えてくれる。またもっと卑近な例で言うと、ケンカ一つ取っても、兵法は役立つ。武道やその精神が日常生活で役立つように、兵法や軍事思想というものも真剣に学べば結構役立つものだ。これが活(い)かせるゲームなんかが作られたら、もっと平和的に楽しめるという希望もある。中高で古典漢文、歴史を勉強してきた人は、学校教育を抜け出して、このような兵法に人生のヒントを見つけてみてはいかがだろうか。
 
1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...

コメント

タイトルとURLをコピーしました