諸葛孔明の兵法 ★★★☆☆

書評
2011年に孫子兵法のDVDが発売され、2012年には孫子兵法大伝が発売された。諸葛孔明の兵法は、孫子の兵法を初めとする武経七書をさらに深く学ぶ上で、とても役立つ一冊だ。私は2008年から孫子の兵法を学び始め、その後、武経七書を読破し、今回は三国志で小国・蜀の宰相として、曹丕の治める大国・魏に挑んだ諸葛亮孔明の兵法を学んでみることにした。この本は三部構成になっており、歴史や三国志演義からみる諸葛孔明の人物像、諸葛孔明の残した兵法、そして出師の表の現代語訳となっている。この本のいいところは、孫子の兵法からさらに広げた三国志時代の名軍師の残した兵法を知るばかりでなく、諸葛亮の人物像から見る兵法の要諦を学べるところだ。

諸葛亮孔明は、基本や原則に忠実で、絶対に危ない橋は渡らなかった。魏へ攻め込んだ時も、軍事会議を開いたところで蜀の将軍から乾坤一擲の大ばくちのような侵攻ルートを提言されても、それを退け、確実に進めるルートを採用したと書かれている。蜀の血気にはやる将軍たちは彼のことを臆病者と評したが、この慎重さこそ、彼が名軍師として歴史に名を残したゆえんである。このことを読んだ時、特に印象に残ったのは、以前に聞いた『ボイスCD 萌訳孫子ちゃんの兵法』でも同じことを語っていたからだ。

孫子の兵法では戦争は騙し合いであると述べ詭道を勧めているため、乾坤一擲も選択肢の一つとしてあるのではないかと誤解してしまうことがある。しかし、孫子の兵法では、乾坤一擲戦術を強く戒め、確実な勝利を積み重ねることを勧めている。孫子にも、「衆人が褒め称える勝利は、本当によい勝利ではない。雷鳴を聞いて耳がよいとは言わない。」と述べている。孫子の教える勝負、兵法には乾坤一擲は存在しないのである。孫子を深く勉強した諸葛亮は、基本、原則をよく守り、無茶をしなかった。 これが次の空城の計の逸話を生む。諸葛亮が司馬仲達の大軍に包囲された時、城門を開け、一切城を守らせなかった。これを見た司馬仲達は、諸葛亮の慎重な性格からは考えられないと思い、伏兵を恐れ、軍を退いてしまう。これは完全な逸話だが、そのような逸話が生まれるほど、諸葛亮の慎重な性格は広く伝わっていたのだろう。

三国志時代の諸葛亮が考えなければならなかったことは、魏や呉との戦いばかりではない。東夷、南蛮、西戎、北狄と呼ばれる異民族の平定も大きな課題だった。各異民族の性格や地勢なども具体的に分析しているのが、この諸葛孔明の兵法の特徴だろう。孟獲を7度捕らえて、7度逃がした七縦七擒(しちしょうしちきん)の話なども有名なところだ。孟獲に勝利したあと、異民族国家の統治の仕方もまさに現代的だった。彼は蜀の役人を統治者として送り込んだりせず、統治には現地人の役人を使った。蜀の役人を送り込んだ場合、反乱を警戒して多くの兵を駐屯させる必要があるが、現地人を統治役人として登用した場合、その兵を削減できる。また現地人が統治に当たっているということで、異民族たちの自尊心を損なうこともない。これはイギリスがインドを植民地化した時に使ったり、アメリカがイラク統治に使っている手法である。

また、軍隊のシステムについても言及されている。どのような人間が軍を損なうのかを孫子の兵法よりも具体的に分析している。私の印象に残ったのは、命令違反の節だ。命令違反には次の7つがある。1.軽んじる。2.あなどる。3.盗む。4.あざむく。5.そむく。6.乱す。7.誤らす。ここで軽んじるというのは、要するに働かないということだ。あざむくというのは、だらしない装備で勝つための戦いの準備ができていないということだ。乱すというのは、でたらめ勝手に動き回ることだ。諸葛亮の作った軍の規律は、要するにまじめに戦わないというのはすべて罪として罰するということだ。

以上のように諸葛孔明の兵法では、孫子の兵法を深く掘り下げ、彼独自の兵法も付け加わって、兵法に深みを出している。守屋洋さんは、中国文学の翻訳も多数手がけられている。また、この本は表記も箇条書きを使って分かりやすく連番を付けたりする工夫があり、とても読みやすい。興味のある方は一読されたい。

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